Motoyuki's Diary 2005年8月上旬

Motoyuki Konno <motoyuki@bsdclub.org>
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Last-modified: Wed, 12 Oct 2005 21:41:59 JST


2005/8/5(Fri)

今日

_ 仕事

職場も夏休み体制。休みをとっている人がちらほら。私自身は普通に仕事の予定。 夏休みはとれるのだが、この時期はどこも混んでいるので 9 月に休むつもり。

いまいる部署ではとある機器が 2 つ並んで設置されているのだが、 今日は 1 台が定期メンテナンスで停止していて担当の技師さんは夏休み。

_ 夕方

いったん家に戻って荷物を整理してから、 ETC の通勤割引の時間帯に間に合うように (夕方は 17 〜 20 時) 出発。いつものように甲府南から相模湖まで中央道を使って 八王子へ。


2005/8/6(Sat)

広島原爆投下 60 周年の日に

_ 違和感

今年は太平洋戦争の終戦 60 周年ということでテレビの番組表をみると 回顧番組が数多く放送されているようだ。その多くが原爆をはじめとする 「日本人の被害」に焦点を合わせたものであることに私は大きな違和感を感じる。

今年は太平洋戦争時に東南アジアをはじめとする各国に与えた被害に関する認識が 大きな外交問題となった。小泉首相の言動ばかりが問題視されていたように 思うが、日本人全体をみるとどうだろうか。戦争で加害者の立場であったことを ほとんど扱わないで被害者としての立場ばかりがテレビで報道されていることは、 どう考えてもおかしいとしか思えない。

沖縄戦や原爆の被害を回顧することも確かに重要だが、なぜ同盟国がほとんどない 無謀な戦争に突っ走ったのか、東南アジア等で現地の人々との間で何があったのか、 などをきちんと検証して伝えていく番組 *1のほうに重点を置くべきではないだろうか。

_ 「戦争体験の継承」

最近めだつ「戦争体験の継承」という運動にも私は違和感を感じる。 戦争を体験した世代が自分の体験を若い世代に語り継ごうというものだが、 これらの「体験談」が果して語り継ぐだけのものかどうかの検討が なされていない。

60 年も経過してからの「体験談」は資料的価値が非常に低い。悪意がなくても 話が変わってきてしまうことがあるし、偏った内容になることも多い。 そのような「体験談」より、当時書かれた一次資料をきちんと まとめて伝えていくほうがよほど価値が高いだろう。

これまで何らかの理由で公表されていなかった当時の資料 (個人の日記なども含む) をきちんと収集しようという運動なら私も理解できるのだが...。


*1:「南京大虐殺」で見られるように政治的な理由で被害を超誇大化する勢力の存在が そうした検証を難しくしている面はあるが。

今日

_ 休み

2 週連続して週末に泊まりがけで出かけていたので、ゆっくりと休養。 飼い犬の相手をして遊んであげる。

Eddie (1) Eddie (2) Eddie (3)

_ 買い物

新宿へ出て買い物。

前者は 3.5inch ベイに内蔵できる 3.5inch FDD + USB2.0 接続の各種カードリーダ。 実家に置いてある Windows マシンの 3.5inch FDD が調子悪くなってしまったので 代替として購入。 CF や SD カードのデジカメのデータが直接吸い出せて便利。

_ 今日の酒

近所の魚屋で買ってきた鰹と。

300ml だと酒を飲んだというより「ほろ酔い」という感じで終わる。 それくらいで終わりたいときに買ってくるといい感じ。


以上、2日分です。