Motoyuki's Diary 2007年6月下旬

Motoyuki Konno <motoyuki@bsdclub.org>
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Last-modified: Sun, 24 Jun 2007 21:13:25 JST


2007/6/23(Sat)

この 1 週間

_ 6/18 (Mon)

今年の夏休みの日程調整が始まった。 EuroBSDCon 2007にあわせて 9 月に夏休みをとろうと思っていたのに、その週は既に他に希望者が いて NG *1で落ち込む。週明けの月曜日が休みの週 (実質的に夏休みが一日増える) だからか。

_ 6/19 (Tue)

当直。平日当直だと翌日も普通勤務なので、夜まで 36 時間くらい職場から一歩も 出られない。幸いにして no call だったので眠れた。


*1:各週とも先着順で 2 名までというシステム

今日

_

先週末に引き続き梅雨とは思えない快晴。布団干しと洗濯、掃除。

_ 午後

車で八王子へ。

_ 夕方

新屋鮨へ。ずーっと昔 *1から通っている店。私は特製にぎりのディナーセットを注文。

サラダ セットのサラダ
茶碗蒸し セットの茶碗蒸し
にぎり 特製にぎり
天ぷら セットの天ぷら
穴子 単品で注文した、穴子
鯵
鰯 鰯。 店の主人がやってる blog の本日の項にも紹介されている。すごく美味でした。
スペシャルちらし こちらは「スペシャル」ちらし。私が頼んだものではないけど撮影してみた。

日本酒は出羽桜の甘口 (詳細不明) と、 澤乃井の本醸造生酒を注文。もうちょっといい酒を置いてくれるといいのに *2、と思う。

_

何となく物足りなかったので、帰宅後に。


*1:小学校低学年の頃にはここの出前の海苔巻を食べた記憶がある。 いまの店の主人は二代目。
*2:それでも以前と比べるとかなり種類を置くようになった。

いろいろ

_ 理解不能

毎日新聞の記事 (http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070623k0000e040055000c.html) から:

沖縄:教科書検定、国と溝 「自決強制」目撃の女性に怒り

「日本軍がいなければ自決なんかしませんよ」。平和の礎(いしじ)に刻まれた 親せきの名を前に、沖縄県南風原(はえばる)町の仲程(なかほど)シゲさん (77)は悔しさをにじませた。その額には62年前、沖縄戦で受けた艦砲射撃の 砲弾の破片とともに、集団自決や日本兵による住民虐殺のいまわしい記憶が 刻まれている。

当時、本島南部の大里村(現南城市)に住んでいた仲程さんは、戦火が迫った 5月28日、母カマさん(49)と13歳、10歳の弟、そしておじ、おばら 計13人で南へと避難を始めた。6月19日、隠れていた糸満市真栄里のガマ (壕(ごう))に米軍の戦車が迫った。

沖縄守備軍が現地で召集した防衛隊から逃げてきたおじが言った。「アメリカーに やられるより、自分で死んだ方がまし」。手投げ弾を持っていた。それを見た カマさんがおじの手に取りすがった。

「いくら何でも生きている子供たちをなぜ殺せるか。まず待ちなさい」。子を持つ 母親の訴えにおじは思いとどまった。

夜、再び南へ。火炎放射器で焼き払われていた米須(こめす)集落で、激しい 艦砲射撃に襲われた。おばがうめいて倒れたが、暗闇でどこをけがしたのか わからない。カマさんが「姉さん、恨まないでね」と額に手を当てると、 息を引き取った。足の肉をえぐりとられて倒れたおじは「戦争が終わったら 遺骨を取りにきてくれ」と言った。残していくしかなかった。

翌日、隠れていた摩文仁の山中で砲弾がさく裂。仲程さんの額に破片がめり込んだ。 さらに次の日、一人の沖縄の青年が、隠れている住民に呼びかけた。 「アメリカの捕虜になったほうがいい。みんなで出て行こう」

すると2人の日本兵が走り寄り「こんなバカがいるから沖縄は負けるんだ」と 言い放つや、日本刀で青年の首を切った。

怖くなって下りた摩文仁の断崖(だんがい)。海には赤ん坊の死体が浮き、 岸辺には破傷風で苦しむ人たちが大勢いた。1週間近く、水だけでしのいだ。

仲程さんが捕虜になったのは26日。別の日本兵が「日本は負けた。 民間人は出て行ったほうがいい」と言ってくれた。当時、「米軍に捕まると、 女は強姦(ごうかん)され、男は戦車でひき殺される」と言われていた。 「この日本兵は命の恩人です」。だがおじ、おばらたくさんの親族を亡くした。

仲程さんは、文科省の教科書検定に声を震わせて怒る。「軍さえいなければ こんなことにはならなかった。人の命を大切にするのが教育なのに、 あったことをなかったことにするとは何事ですか。生かされた私は 亡くなった人の嘆き、苦しみ、悲しみを伝えなければならない」

改憲を急ぐ安倍首相にも厳しい視線を向ける。「憲法9条は絶対守らなければ だめ。首相は沖縄戦も空襲も知らないのに何を言うか。爆弾が家に落ちれば分かる。 戦の末に生まれた基地がある限り、沖縄の戦後は終わらないですよ」【三森輝久】

あえて全文を引用したが、何度読み返してみても「軍が民間人に自決を強制」という 話はこの文の中には全く存在しない。最もそれに近いと思われるのは、現地招集の 防衛隊から脱走してきた叔父が家族と共に自決しようとしたというエピソードだけど、 これをもって「軍が自決を強制」と解釈するのはどう考えても無理がある。

正直なところ、「沖縄戦で軍が民間人の自決を強制」という話が本当なのか嘘なのか 判断するだけの材料を私は持ち合わせていない。でも、こうした報道が行われて いるのをみると「自決の強制って本当にあったの?」と疑わしく思えてきてしまう。


2007/6/24(Sun)

今日

_

八王子駅前へ。

先日壊れてしまった眼鏡の修理を依頼。半月から一月くらい時間がかかるものの 数千円程度で修理できるとのこと。よかった。

_ 買い物 (1)

ヨドバシで買い物。余った部品を中心に組むマシン用

_ 買い物 (2)

そごう 7F の書店にて:

_ 買い物 (3)

そごう地下にて。賀茂鶴のコーナーができていたので購入してみた。 発泡酒を手にとって「最近こういうのが流行ですね」と聞いてみたら、 「すず音ほど甘くはない」とのこと。すぐに「すず音」の名前が出てくるところを みると対抗心ありあり *1なのかな。


*1:そごうでこうした特設コーナーができている時は酒造メーカーから派遣された 人が接客しているみたい。


以上、2日分です。