Motoyuki's Diary (1999 年 4 月)

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4 月中旬 : [4/14] [4/20]
4 月下旬 : [4/22] [4/25] [4/28] [4/29]

4 月 29 日 (木)

昨日のこと

スキー部の新歓コンパに行った。ここのところずっと幽霊部員なので 2 年生以下は全然知らなかったりする。今年の新入生はついに 1980 年生まれが いるのでけっこう愕然とする。

スキー部ではないけど、同級生の O さんは「今年の新入生とは干支が 同じだよ」という状態らしい。 うちの大学では他大学を経由して入ってくる人がかなり多いので、 こういうおかしな現象が頻発することになる。

二次会の居酒屋から参加して三次会はカラオケ。久しぶりに 普通の *1 カラオケを楽しむ。 どんどん飲んでいろいろ歌ったので、後輩の家での四次会ではアルコールが回って 半分眠っている状態になってしまった。途中で失礼して家に帰って寝た。 寝たのは 5 時近く。

*1 : 選曲の方向性が普通という意味。なぜ普通と感じたかは秘密だ :-)

今朝

昨夜は飲みすぎて二日酔い状態。昼過ぎになってやっと復活。

と思ったけど、結局ちゃんと復活できないまま夜になってしまった。 とっても無駄な一日。

水曜日の午後は何も講義がなかったのに、連休の谷間の明日は朝から夕方まで 全部講義で埋まっていたりする。頭に来るなあ。

この連休は東京に戻る予定。小学校時代の友人の結婚披露パーティが 5/3 に銀座で 行なわれるしね。

Web 日記から

学習機能をオフにしない限り、 FEP を取り替え ても意味がないような気がするんですけど。


4 月 28 日 (水)

FreeBSD

3.2-RELEASE の code freeze が 5 月 10 日に決まった模様。 ports 関係の code freeze も同じ日です。今度の連休は FreeBSD 作業かな。

jp.FreeBSD.org のサーバ移転 話の続き。本格運用を開始したばかりの日曜日深夜、熱問題で サーバが死んでしまう現象が発生。結局ケースの置き方を工夫して何とかなった みたいだけど、きちんとした対策をしなきゃならない。

大学にて

この春、うちの大学のネットワーク構成がかなり変更された。私がお願いしていた ところも改善されたので、大学の中からいろいろとできるようになった。 今までは Firewall の関係で FreeBSD 関係の作業を大学で行うのは事実上無理だった のだが、これからは休み時間等を利用して大学図書館 2 F の座席の一部に用意された 10BASE-T のコンセントにノートパソコンを接続すれば大丈夫になった。 非常に快適でとても嬉しい。

Web 日記から

最近の users-jp についての話が 話題に なって ますが、最近の users-jp はちょっと S/N 比が下がりすぎ。それなのに 技術的に大事な話を tech-jp に出さずに users-jp だけでする人がいるからなぁ。 一応チェックしとかないと見落とす可能性があって嫌。 やっぱり chat-jp 作ったほうがいいのかな。

仙台の甘いもの 系 だと、支倉焼きとか、ずんだ餅とか、九重なんかもいいです。 辛党の方だと、仙台の地元じゃなくなりますが浦霞「禅」 (塩釜)、瞑想水 (中新田) あたりの吟壌酒がお勧め。

やっぱり 類は 友を呼ぶ ということわざの通りなんでしょう :-)

名詞の肩書き の件、自分のを何にしようか思案中。いい案があったら教えてください :-)

TVK で放送中の某番組、今週は某キャラ登場だったんですが こちら のお方 はどういう感想を持たれたのでしょうか?


4 月 25 日 (日)

FreeBSD

FreeBSD のサーバ移転は無事終了。昨日の作業はメールサーバの移動と www.jp.freebsd.org の CNAME のつけ変え。担当部分ではなかったので 私は見ていただけでした。作業にあたられた方々、ご苦労さまでした。

Celeron Dual はすごい(続)

4/14 の日記 に書いたけど、 Celeron Dual (candy さんは Dualon と呼んでいるらしい) はすごい。今までは Pentium Pro 200MHz で十分に速いと 思ってたのだが、 Celeron Dual はこれに比べると異次元の速さ。もう元の環境に 戻れない :-)。 今まで「寝る前に実行を始める」のが通例だった FreeBSD の make world が 1 時間で終わるんだもの。食事で外に出る間なんかに気軽に 実行できるようになった。

某所の chat で「Celeron Dual はすごい」と書き込んだら、何人かの方々が Celeron Dual の購入にふみきった模様。周囲の人に散財させてちょっと悪かったかな とも思うけど、 Celeron Dual は本当にお勧め。 PPGA 版 Celeron 300A は既に 生産中止になっていて残るは流通在庫だけなので、買うならこのゴールデンウィークが 最後のチャンスでしょう。

Celeron 300A を 450MHz (base clock 100MHz) で動かせない確率はどうも 1 割か 2 割くらい存在してるらしい。いずれにしても Over Clock で動かすのは 危険が伴うので、壊れた時の予備にもう 1 個くらい買っておこうかな。

Web 日記から

仙台行きですか、いいなあ。 太助の牛タン 食べに行きたい :-)。私自身は住んだことはありませんが、 父の実家が仙台なので地元の名物とかには昔から慣れ親しんでいるのです。 いろいろと美味しいものが多くて、旅行に行った時には土産を選ぶのに苦労します。

emacs でカーソルキー を多用する邪道な一人だったりします > 私。


4 月 22 日 (木)

大学にて

うちの大学では CPC というのが月に一度水曜日の夕方にある。開始当初の話では New England Journal of Medicine に掲載される症例検討のように 臨床の医者と病理の医者が活発に意見を交換する場を目標とする、という ことだった。

ところがフタを開けてみるとその回の担当臨床科の医者数人と病理の担当者しか 出席しない代物になってしまった。いつのまにか「学生に教える場所」という 性格が強くなってしまい、今年からは学生に毎回テストが課せられるようになった。

当初の目標からは大きく後退したんじゃないかな。義務で出席しなきゃならない 担当臨床科を除けば医者の出席がないということは、それだけの価値がないと 見做されていることでしょう。掛け声倒れの企画になってしまったのだと思う。

6 年生になってから毎時間出席とるようになった。この学年になって 朝から夕方まで出席とる講義ばかりというのはちょっと変。 6 年間も在学するのに卒業論文を書くわけでもなし。 5 年生の時の臨床実習を 除けば講義ばっかり。医師国家試験の合格率ばかりが評価される世界。 医学部というのは「大学」というより「国家試験合格対策専門学校」なのでは ないかと思ってしまうのです。

今の国家試験に要求される知識量は、年輩の医者の時代に比べて少なくとも 200 倍 (!?) 以上になっているそうです。それでいて

この病気は私もまだ見たことないけど国家試験には時々でるから。
と大学病院で専門に医療を行なっている講師クラスの先生が言うくらい珍しい病気も 出題されたりする。つまりは普通の医者なら必要のない知識が要求される訳ですね。

ごく普通の病気を間違えなしに診断する、というのが国家試験レベルで求められる 技量だと思うのだけどな。

FreeBSD

既にアナウンスをご覧になっている方も多いと思いますが、 jp.FreeBSD.org のサーバが移転します。いろいろな影響がでますので、 移転のアナウンス を読んでください。

新サーバの細かな調整が続いている。完成度はかなり高くなってきたけど、 まだまだいじるべき場所が残っているようだ。

Web 日記から

流行の Dame Checker。 私の結果は 68.58 %。判断が分かれるところは「数字が高くなると思われる方を選ぶ」 という方針でもこの数字だった。どうやったら 181.16 % なんて数字が出るんでしょ?


4 月 20 日 (火)

大学にて

大学で朝から夕方まで講義を受ける。昨年度は臨床実習で各実習班ごとの行動 だったため、学年全体が一つの教室で講義を受けるというのはほぼ 1 年ぶり。 連休明けまではこの生活が続く。

講義ノートを基本的に自分の ThinkPad 235 で書くようにした。 FreeBSD 上の Wnn6 + mule という環境。下級生の中にそうしている人がいる という話を聞いて自分でも試してみたのだ。実際にやってみると 手でノート書くより早かったし *1

*1 : 特に専門用語で難しい漢字が出てくるとその傾向が強い。

newconfig

FreeBSD の newconfig vs new-bus の話。 にゃん さん塩崎さん の日記にもありますが、 new-bus が FreeBSD に merge された。 実際の開発には加わっていなかったけど、応援していた一人としては悔しい。 技術的な話については塩崎さんの日記に引用されている soda さんのメール の通りだと思う。

newconfig の敗因の一つとして、 FreeBSD Alpha で new-bus が採用されていた ことがある。私自身も最後の段階で soda さんのメールを読むまですっかり失念 していたのだが、 newconfig vs new-bus の議論の中で「FreeBSD Alpha では なぜ newconfig を捨てて new-bus を作成したのか」という観点が抜けていた ような気がする。

FreeBSD Alpha のコードは NetBSD Alpha のコードを移植したものなのだが、 この移植の過程でなぜ newconfig を捨てて new-bus をわざわざ作成したのか よくわからない。現状の new-bus が newconfig で実現していなかった機能を 実装したという話も聞かないし。

注 : この件に関し、 soda さんからメールをいただきました。 dynamic configutation に関しては new-bus の方が現時点では機能的に 遥かに優れているとのことです。ただし、従来の static configuration に 関しては irq や port address のハードコーディングの嵐になって しまう危険が十分にあるとのこと。 npx.c あたりで ハードコーディングの嵐 が既に始まってますからね。

最大の敗因は、やはり日本以外の開発者を味方につけられなかったことだろう。 開発が始まった昨年暮れあたりから定期的にパッチキットと 説明を -current や -hackers に出しておくべきだったと思う。開発が日本語の メーリングリストだけで行われてしまい、英語で議論するメーリングリストを 作成しておいたけど全然活用されずに終わってしまった。

PAO の絡みで -mobile では newconfig 関係の議論があったのだが、 FreeBSD の開発の中心はあくまで -current と -hackers だし、 newconfig の 意義は mobile 関係だけではなく FreeBSD 関係全体にわたるものなので、 今から考えると -current か -hackers で議論や宣伝を行うべきだったと思う。

このことに関係して、 -current や -hackers で日本人の存在がいかに希薄かを調べてみた。 今年の 1 月から 3 月までの間に -current と -hackers に流れたメールは 合計 9000 通あまり。そのうち日本人の投稿は 151 通のみ。 この時期に syscons ドライバの書き換えという大作業をされた横田さんが 65 通、 core の浅見さんが 43 通なので、他の日本人は全部あわせても 44 通しかない。しかも、この時期 newconfig という語は 1 回も -current, -hackers に登場していない *2

*2 : 同じ期間に new-bus 関係のメールは 3 回しか出ていないので、 「closed な場所で new-bus を開発してる」という newconfig 側の 非難はある程度的を得てはいる。

もっともっと -current や -hackers に技術的な話を持っていくべきだと思う *3

*3 : committer なのに -current や -hackers にほとんど投稿していない 私が言うのは何なのですが :-)。

FreeBSD

jp.freebsd.org のサーバ群の更新が今週末に行なわれる予定。 まもなくアナウンスを出すと思うので、 jp.freebsd.org のメーリングリストや WWW サーバを利用している方は注意しておいてください。 一部のサーバは既に新しいものに切り替わっていたりします。

この 2 ヶ月くらいサーバ移行の作業をいろいろと行なっていたので、 やっと落ち着けるかな。その間に doc-jp の作業がかなり遅れてしまったので、 こちらもやらなきゃいけない。

fj.os.bsd.freebsd.org でふとみかけた 記事。 爆笑。

>>>>> In  
>>>>>	aki@noc.titech.ac.jp (飯島昭博 /Iijima Akihiro) wrote:
> どなたか教えてください。
[途中省略 by 今野]

飯島さんにこういうこと言うのはアレですが、Q&Aにあります。
http://www.jp.freebsd.org/QandA/HTML/608.html

QandA の記述よりももっと詳しい説明が欲しかったのかな?


4 月 14 日 (水)

アクセスカウンタ

なぜか 4/4 にアクセスカウンタがリセットされていたようなので リセット前の数字を加える。 Rim の設定が変わったのかしらん?

ちなみに、私はふだん手元のサーバーにあるものを読んでいるので、 自分がアクセスした分はカウントされていないです。

FreeBSD

日曜日は FreeBSD 関係の打ち合わせ。秋葉原で買い物をしてから打ち合わせ場所へ。 なぜか先週も来た場所だったりする。打ち合わせ自体は非常に順調にいった。

その後、有志で渋谷に出て食事。シネタワー 1 階のイタリア料理店でピザや スパゲッティを食べながらワインをいっぱい飲む。けっこうおいしかった。

途中で非常に「若者」的な服装のヒトが店員に案内されてとなりの席に来た。 実は会社が近くなので合流した花井さんだったのだが、一同びっくり。

その後は日本酒の店で二次会。一次会が始まったのが 6 時頃だったのに、 結局 12 時近くまで飲む。中央線高尾行の終電で帰宅。 明日から大学なのに大変だー。

翌朝ちゃんと起きて大学に行ったのだが、寝不足と疲れから何も作業できず。

Celeron Dual はすごい

Celeron 300A PPGA 版がそろそろ品薄になりつつあるようなので、秋葉原に行って お買い物。最近話題の Celeron Dual なマシンを組みました。

FreeBSD 4.0-current の make world が一時間ちょっとで終わるのだから 驚異的な性能。これでいて CPU が一万円弱 × 2、マザーボードが 2 万円弱。 無改造で Dual 動作を可能にするためのアダプタを入れても 4 万円しか かからない。

余っていた部品を組み合わせて自分のマシン群を再構成。 新しいマシンは sakura と命名。スペックは こんな感じ

Web 日記から

携帯電話持ってないと他人に迷惑かける という時代になりつつあるのかなぁ。

そういえば、携帯に電話をかけるという意味の「○×くんに電波」という用法、 私は非常に抵抗があったりします。去年の大学での実習で、携帯電話なしに本当に 「電波が頭に入ってくる」方々を見てしまったからかもしれません。

なぜかみんな「電波が頭に入ってくる」「テレビ局が電波で私の悪口を流している」 という感じに「電波」と言うのですよね。誰かに教えてもらった訳でもないだろうに、 非常に不思議です。ラジオやテレビが普及して電波という概念が普及する前は どうだったんだろう? 「神のお告げが聞こえる」予言者はこういう病気だったのかも ;-)

確かに その会での 暴言? に端を発してる所が大きい のは確かだと思います。 Vine 関係者としてお金 (少額だったようですが) をもらって出演している との説明がありましたので、ある程度オフィシャルな発言と私は判断しました。


4 月 9 日 (金)

Vine (続)

私自身は次のような考え方をしています。

*BSD にせよ Linux にせよ、配布物 (distribution) 全体の著作権表明と 各モジュールの著作権表明は別です。例えば FreeBSD ならば全体としては BSD ライセンスなのですが、各モジュールのライセンスはさまざまです。 /usr/bin/cc とか /usr/bin/gzip は GPL ですし、 ports/packages にいたっては 多種多様です。

自分が書いたプログラムの部分については、どういうライセンスを設定しようと 書いた人の勝手です。「他を排除」する項目があったとしても文句を言うべきでは ないです。しかし、 distribution 全体のライセンスについては話が別で、 高度の倫理観が要求される と私は考えます。他人が書いたプログラムを 利用させてもらっているのですし、 Linux ならば既存のさまざまな distribution の成果物を利用させてもらっているのですから。

Vine Linux General Public License の場合、明らかに distribution 全体の著作権表示です。この distribution 全体のライセンスに「他を排除」する意図の項目を入れるのは 非常におかしいと私は思うのです。

Vine Tools という Vine 独自のツールを守りたいのであれば、 Vine Tools の ライセンス条項にその旨書いておけば済むことです。 Vine Linux General Public License には

3. 「Vine Linux」に含まれるすべてのソフトウェアお
よびデータの著作権は、各々のソフトウェアおよびデー
タの作者にある。また、各々のソフトウェアおよびデー
タの再配布条件は、各々の再配布条件に従う。
という項目がありますから、 distribution 全体のライセンス条項にあのような 項目を入れる必要は全くありません。

Web 日記から

私は思想的には GPL な人 に近いかもしれません。なのになぜ BSD ライセンスが好きかというと、 GPL の条項が厳しすぎるからです。GPL でバイナリ配布が認められるのは

  1. 対応する完全なソースコードを添付する。
  2. 少なくとも 3 年間、誰にでも配布手数料のみでソースを配布することを 書面で表明する。
  3. ソースコードが入手できる場所の情報を添付する。(非商用で配布する場合で、 かつ、配布者がソースコードを所持していない場合のみ)

だけです。

雑誌などで配布されている CDROM では、 GPL なソフトのバイナリだけを収録して ソースコードが入っていないことをよく見かけます。 gcc や Emacs のような メジャーな GPL ソフトの場合、雑誌を発行している出版社でソースコードを所持 していないケースはほぼありえない *1 でしょうから、 (GPL を厳密に解釈すれば)不適切な配布である可能性が 非常に高いです。

*1 : 例えば、 FreeBSD の Emacs packages を雑誌 CDROM に収録する場合、 Walnut Creek などのソース tarball が入った CDROM が出版社内にあれば 上記の 3. は選択できなくなります。残るは 1. のソースを添付か、 2. の書面での配布表明しかありません。

インターネットが普及して anonymous ftp でのソースコード入手が非常に 容易になった現在、 GPL のバイナリ配布制限条項はちょっと時代遅れのような 気がしています。


4 月 8 日 (木)

山梨へ

来週から大学の講義が始まるので日帰りで山梨の下宿へ。留守中にたまっていた 郵便を見たり宅急便の再配達を依頼したり、なんだかんだでかなりの時間が 必要だった。

1 月末発送予定のはずだった「全巻購入者特典 LD」がやっと届いていた。 さっそく鑑賞。第 23 話「涙」はやっぱりテレビ放映版が一番だね。 LD/Video として販売されているものはいろいろと追加修正されてるのだが、その分だけ 話が冗長になってしまっている感じがする。第 22 話「せめて、人間らしく」も 同様。

結局、届いた LD に入っていた第 21 話から第 24 話までを一気に見てしまった。 特典 LD を申し込んでおいて本当によかった。

ううむ、月曜日は朝最初の時間から講義がある模様。前日の日曜日は東京で jp.freebsd.org 関係の打ち合わせ会議があるので、ちょっとつらいかも。

Web 日記から

ここのところずっと実家にいるので、日記巡りがほとんどできない状態。 電話回線をあまり占有してられないからね。ふだんはテレホーダイを使ってるので 必要ないのだが、よく読む日記を自動的に取得してローカルで見る環境を 整備したほうがいいかも。

もう古い話だが、宴会 ML で私が「木乃本 さくら」と書いたのに対して、 まっさきに「漢字が違う」とツッコミを入れたのが こがさん だったのは ちょっと意外だった。

昨日書いた Vine 話 の続き。私の考え方は 塩崎さんの意見 とほぼ同じです。普通ならば Vine のような連中は放置するのだけど、

あたりが気になったのであえて問題提起したのでした。

License の文には明文化されてないのだけど、 「ソースコードは見るのはいいけど使っちゃダメ」と Vine な人々が強調していた ところからみると、

他の Linux distribution にあわせて改変したりするのは絶対禁止
らしい。「ソースコードを使っちゃダメ」なので、 FreeBSD や OpenBSD 用に 流用するのは無理でしょう。

そういえば、ライセンス条項には

「ソースコードを見るのはいいけど使っちゃだめ」
とは全く書いていないですね。ライセンス条項の表現が曖昧なので、 Vine Linux 以外での使用は事実上非常に難しい*1 です。

*1 : 例えば FreeBSD の ports にできるかというと、ライセンス上非常に 難しく事実上不可能と考えざるを得ない。

と、ここまで書いたところで渡邊さんのところに Vine の羽根さん からメール が届いた模様。 ライセンス条項の意味が羽根さんの説明の通りなら、トーク会場での説明と 違うよな。トーク会場では

ソースは見てもいいけど使っちゃダメ
と強調されていました。私の席からは中継テレビの映像しか見えなかったので 誰の発言かはわかりませんが、 Vine Linux のセッションでそういう発言があったのは 間違いないです。

「ソースは見てもいいけど使っちゃダメ」 というのが真意だとすれば、私としては Vine Linux 以外での使用を排除したいの だなと感じます*2。 逆に、羽根さんの説明が真意なのであれば、私の日記にとりあげたりしないです。

*2 : ソースを見てもいいけど使っちゃダメということは、ソースを使って build してインストールするのも禁止と考えられますよね。ライブラリの バージョン問題などの関係で build し直す必要があったりするし。 トーク会場でのこの発言から、私は「使用の禁止」を事実上意図している のだと理解しました。

羽根さんの説明を Vine Linux の考え方ととっていいのかな? それならば 私の誤解について訂正&謝罪しなきゃならないのですが、 あの「見てもいいけど使っちゃダメ」というのはどういう意味だったのだろう?


4 月 7 日 (水)

FreeBSD 花見

4/3 に FreeBSD 花見があった。

早めに行くつもりだったのにすっかり寝坊。実家近くの駅で電車に乗ったのが 10:54 で集合時間の直前という状態 :-)。 京王線で新宿へでてから目黒経由で大岡山に向かう。東工大に着いたのは 12:30 頃。

去年も花見に参加したので迷わずに会場方向へ歩いていくと、何やら怪しい 集団発見。デーモンくんポスターを貼った立看板があるので見間違えようが ないのだけれど、数多くのノートパソコンが並び Ethernet のケーブルが はい回る花見会場というのは、ちょっと近寄りがたいよね :-)。 去年も IP reachable な花見だったけど、接続しているのは 3, 4 台程度だったから そんなに違和感はなかった。

私も早速、ということで接続を試してみたのだけど DHCP サーバーから うまく IP address がもらえない (;_;)。私の ThinkPad 235 の Wide-DHCP クライアントと NT な DHCP サーバーとの相性が悪いみたい。結局この日は 全然接続できなかった。同じく Wide-DHCP を使っている 佐藤さん も一瞬だけ使えたけど あとはずっとダメ。 Windows NT なんかで DHCP サーバー動かしてるのが 悪いのだ (と思う)。

まずは最近話題の飯島さんネタ。

言いあっているうちに誰かが「QandA に出さなきゃ銃殺、って書いてた」と指摘。 まさかとは思ったけど、検索してみると 本当にあった (笑)。検索エンジンって本当に恐い。

その後は飯島さん対策の話。詳しくは こちら

*1 : 実際に顔を合わせてみると非常にいい人なんだけど、時々きつい言い方の メールを書くよね、という指摘がありました。

続いて自己紹介大会。 某社 の人が なぜか 4 人もいたりするのが謎。終る頃に あさたくイソター怪鳥 登場。 でーもん君変身グッズには皆爆笑。

その後はいろいろな話で盛り上がった。 塩崎さんが書いている ようにみな同じような意見を持っているのだなと感じた。その他に出た話題としては PAO 統合問題の話とか、 ports の問題点とか、 jp.freebsd.org の運営話とか。 PAO 統合問題については梅本さんや古賀さんと話したけど、私が 4/2 の日記 で書いた通りの状況なのが事実で、 FreeBSD-users-jp で「PAO は悪くない」というイメージが普及しちゃったのを 訂正しなきゃという話がでた。 ports の問題点については、そのうちこの日記で触れるつもり。

FreeBSD 花見については あさたく怪鳥の日記スーパー葵萌えなヒトの日記新卒社員なヒトの日記踏まれマルチ時計なヒトの日記 にも記述があるので、興味のある方は読んでね。

東京 Linux サミット

梅本さん、いちろうさんと共に、新宿のトーク居酒屋 ロフトプラスワン で行われた 東京 Linux サミット に行く。現地で山本ぶんじさんと待ち合わせ。 会場ではコニカの藤沢さんもいた。 Linux 上のアプリケーション関係の話で ちょっと話すとのこと。

内容はというと、まずは関係者による昔話。 中村 正三郎 が インターネットの昔話をしてたんだけど、あちこちで 事実誤認*2 があって非常に変。 彼の著作活動をみればわかるけど、 PC98 関係のアプリ開発をしたりパソコン通信で 活躍していた人だから、インターネットの昔話をまともにできないのはある意味で 当然。彼が PC UNIX について騒ぎだしたのはつい最近の話だから、 こういった場に呼んで昔話をさせること自体がおかしいと思うぞ。

*2 : どういう間違いをしていたかは残念ながら忘れてしまったけど、一緒にいた 他の 3 人がみな「そんなの嘘じゃん」と言っていたから嘘をいくつも話して いたのは確か。

その後は IBM の羽鳥さん (いわゆる DOS/V の開発者) による昔話。 DOS/V の開発の話がどう Linux と関係してくるんだ ?

飛入りで Village Center の中村さんが昔話をしていたけれど、彼の会社は 国内で MINIX を輸入販売し、 PC UNIX の立ち上がりにかなり関わったのだから 昔話をするのは理解できた。

途中で、会場の参加者に「いつから Linux を使ってますか」という質問があった。 私は基本的に FreeBSD ユーザだけど、 Yggdrasil の Linux も使った version 1.0 以前からの Linux ユーザ *3 でもある。私と一緒にいた 3 人はみな、こうした昔の Linux を触れた経験があった のだけど、会場の参加者はみな最近 PC UNIX に入った人で昔からのユーザは ほとんどいなかった模様 *4

*3 : 当時の Linux はコードの質があまりにも悪かった (特にネットワーク回り) ことが 386BSD -> FreeBSD をメインに使い続ける主な理由となった。

*4 : 私たちがいた場所は小さな部屋で、メインの会場とは別だった。

最初のセッションでがっかりしたのだが、次の Vine Linux のセッションはもう最悪。トークの態度がひどかったし、内容的にもひどかった。 Vine Tools とかいう gtk で書いた Vine Linux 独自のツールの宣伝を していたのだが、

というようなことを何度も叫んでいた。後で調べてみると、 Vine Linux General Public License には、

4. 「Vine Linux」に含まれる Vine Tools(Vine-1.0 に
おいては vmail、vedit を指す)については、「Vine
Linux」と同様の目的を持つ「Vine Linux」以外の配付
パッケージ(Slackware など)の一部として利用してはな
らない。
と書いてあった。

Linux の distribution 間の差別化のためだろうとは思うが、フリー ソフトウェアの世界で

お前のものは俺のもの。俺のものは俺だけのもの
を露骨に強調する輩というのは最低。 心の底から軽蔑 します。

商用 distribution が普及している Linux だけど、 業界首位の RedHat は成果物をフリーで公開することによって Linux に貢献して います。 Vine Linux なんかも RedHat が開発したパッケージ機構を利用してる 訳です。フリーで開発されたものを利用する際には、こうした姿勢が非常に 重要だと私は思うのです。

「マスコミにもてはやされて舞上がってるんだろうな」というのが 一緒にいたメンバーの共通認識だった。

一方、次にでてきた Debian-JP の鵜飼さんは非常に好感が持てた。 Debian について という文書を読むと、非常にしっかりした方向性を持っていることが理解できます。

あまりにも不快だったので、私たち 4 人は途中で会場をでた。 FreeBSD 花見に残って 2 次会に行った人々に合流しようと思って 佐藤さんの携帯に電話するが、電波圏外らしくつかまらない。 しょうがないので、以前 FreeBSD 宴会で使った歌舞伎町の 台湾料理店*5 に入った。 Linux の現状と、それに対して FreeBSD がどう対応したらいいのだろうかという 話をした。別に Linux がどうなろうと直接は関係ないのだが、 マスコミがもてはやす現状の反動がきた時が恐いよね、とか、 Microsoft などが Linux をつぶそうとして行動にでたら必然的に FreeBSD にも 影響するよね、といった話になる。

*5 : 以前の宴会のときに初めて使った店。店の主人がなぜか私のところを非常に気に 入っていろいろサービスしてくれたのだが、今回行ったら私のことを ちゃんと覚えていた。

今まで Linux コミュニティとは全然縁がなかったので、どんなところか 興味があって参加したのだが、なんか異星人と接触したような気分で非常に 疲れた。特に Vine な人々とは相互理解は完全に不可能なんじゃないかと思う。

いろいろ

花見の日の帰り、新宿から中央線快速に乗った。 私の隣りに立っていた初老の男性が疲れたのか立ったまま眠り始めた。 すると、その男性の前に座っていた 50 歳前後くらいの女性が何を勘違いしたのか その男性を大きな声で注意し始めたのだ。「寝たふりをしてフラフラしない でください」などと痴漢扱い。

男性はきちんと吊革を掴んだまま寝ているので、フラフラしているとはいっても 女性の体に触れたわけでもない。あまりにひどいので

体に触わられた訳でもないのにこんなに騒ぐなんて、 非常識なのはあなただよ。よっぽど自意識過剰なんだね
と注意しようかと思ったが、非常識ババアに関わりたくなかったのでやめておいた。 その女性は東小金井駅で降りていった。

男性は本当に熟睡していたらしく、周囲の座席にかなり空きができても気が付かず にいた。国分寺あたりでやっと目を覚まして座った。

PC Watch で読んだけど、ラッセル社が倒産したらしい。 PC Wave は 3/8 発売号が最後に なるとのこと。突然倒産して最終号も出せずに終わるとは、 PC Wave らしいと いうべきか。

Internet Watch から。 Microsoft がプライバシー規定の明示を呼びかける だって。 利用者に無断でユーザ情報を収集する機能を Windows に平気で インプリメントする会社にそんなこと言われたくないよね。 Microsoft 自身は「あれはバグだった」と言ってるけど、どういう間違いをしたら そんなバグができるのか :-)

東京都知事選挙について。新聞に「柿沢候補の長男で選挙事務所長をしている 柿沢 未途 (28)」と書いてあった。ミトは運動会ラクロス部出身で、 山中寮 で私の 3 代下の総務だった人物。 ラクロス部のほうで幹部になるとかで総務をやめてしまった。 「お××こー」とかの放送禁止用語をしょっちゅう叫ぶくせがあるおかしな男だった けど、ちゃんと選挙事務所長の仕事してるんだろうか。

Web 日記から

「はにゃーん」と「浩之ちゃん」 にはそういう関係があったのか :-)

ちなみに、私はその手のゲームはまったくしたことはない (本当)。 はまってる人があまりに多いので、例の番組の初回放送を録画する。 まだ世界観がよくわかってないのでよくはわからんが、固有名詞のいくつかは 理解できた。

イソターの怪鳥とエソカイ部長が出席していたし、イソターの会員もかなりいたので イソター花見が 事実誤認 というわけでもないでしょう。

普段使ってる デスクトップは今野さんにしか理解してもらえなかった なんて書かれると、 まるであの集団の中で私が一番ダメみたいじゃない :-)

ペンギンに魂を売った 記事を読んだ。技評の Linux ムックに私の書いた記事が載ってるので 「ペンギンに魂を売る」という指摘にはちょっとドキッとしたりする :-)

雑誌記事を書くために去年の夏に一通りの評価はしたのですが、 PC UNIX 上のビジネススイートは使えない というのは事実ですね。まだまだ「将来に期待」というレベルで実用じゃない。 特に表示・印刷系の整備が致命的に遅れてるんだもの。

そういうレベルにも関わらず、もてはやす雑誌が多いのは嫌ですね。 マスコミが PC UNIX を無理にもちあげているのが見え見えなので、後の反動が 非常に恐い。

そういえば、この春にあいついで創刊された Linux 雑誌は、ライターの質が非常に 低くて笑えます。スーパー葵萌えなヒトが執筆した某雑誌では、 Version 1.0 がでた ばかりの某 distribution について

**** Linux (distribution 名) はアップグレードがしやすい特徴を 持っている
なんて平気で書いてたりします。 アップグレードがしやすいかどうかは次のバージョンが出てみなきゃわからない に決まってるでしょう :-)

4 月 2 日 (金)

4 月になった。

FreeBSD 花見

FreeBSD 花見 1999 が行われます。

日時
4 月 3 日 (土) 11:00 から (雨天の場合翌日に延期)
場所
東京工業大学大岡山キャンパス本館前
用意するもの
各自の飲み食いするもの+α、自分が座る敷物

日本イソターネット協会 エソカイ部会 の花見も一緒に行われます。自分の分は自分で用意するという コンセプトなので飛入り参加も OK です。ふるって参加ください。 なお、飲食物は大岡山駅周辺の商店街でも入手可能です。

エイプリルフール

昨日はエイプリルフールということで、いろいろなことがあった。 (う) さんの Web 日記 4/1 対策の話、

などが流れていたけど、結局 そういうこと だったのか。それにしても上に挙げた説の半分はとってもダメ :-)

一番どきっとしたのは sada さんの某 chat での「FreeBSD から Linux へ転向宣言」。 おりしも FreeBSD-users-jp ML でコミュニティのありかたについて活発な やりとりがあった時期だったので、ちょっと心臓に悪かったような...。

他にも「今年度から Microsoft にお世話になります。メールアドレスは XXXXX@microsoft.com です」と書き込んだ方とか。 jp.freebsd.org でもいろいろと 活動されている方なのに Microsoft に行くとは...、とちょっと考え込んで しまいました :-)

エイプリルフールで面白いかったのが こちら。毎年楽しませてくれます。

遥か昔、月刊 ASCII 別冊で年刊「パロディ版 Ah!SKI」というのが この手の記事をいっぱい載せてて楽しかったんですが、 こちらは 廃刊になってしまって久しいです。 ASCII で遊び心があった人たちがインプレスへ 移籍しちゃったということなのかな。

エイプリルフールとは関係ないですが、 4/1 は新しく就職される方々が初出社する日。 新卒な方の 日記 とか スーパー葵萌えな人の日記 とか見ましたが、新入社員って こんな感じなのかなぁ *1。 お二人とは多分今週末のお花見宴会で一緒になるはずなので、いろいろ 話を聞かせて欲しいです。

*1 : 某社の場合を普通の会社として一般化するのは無理という説もある。

FreeBSD

FreeBSD-users-jp で初心者をどう扱うべきかという活発なやりとりがありました。 神田さん塩崎さん萬谷さん などが日記でとりあげています。奥山さんや山本さんとは beginners-jp で いろいろとやりとりしてるので、どういう考えをされてるのかだいたい理解してる つもりです。

わたし自身の意見は users-jp に書いたのですが、まとめておくと、

  1. 初心者とは、きちんとした質問の仕方がわからない人、答えを検索する 方法を知らない人を指す。「他の UNIX はいろいろ経験あるけど FreeBSD は初めて」なんて人を初心者扱いしてはいけない。
  2. 初心者には、質問の答えを教えると同時に、答えを検索する方法や手順を 呈示して、自力で問題解決できる能力をつけるよう誘導していく。
  3. 初心者に対しては、できるだけ言葉遣いなどに配慮した応答を行う。 検索能力がない人なのだから、検索しなかったことを責めてはいけない。
  4. きちんとした質問ができない初心者は、できるだけ beginners-jp のような 場所へ誘導したほうが良い。
  5. 初心者向けの beginners-jp では、きちんとした質問ができる人や 高度な質問は users-jp など他の場所へ誘導していくべき。 これは初心者向けの場所で高度な質問が交わされていると、本来 beginners-jp で質問するはずの初心者の方々が気後れしてしまうため。
  6. ネット上のコミュニティは「助け合い」の場なので「自分で何ができるか」 という意識がない人は参加資格がない。
  7. コミュニティに対する貢献方法にはいろいろあるが、 「自分の質問と答えをまとめて他の人が簡単に参照できるようにする」 というのは最も簡単な方法の一つ。質問した人は必ず実行すべき。 ただし客観的にまとめる力がついていない初心者の場合は除く。

こうしてまとめてみると、最初のほうは 塩崎さんの見解 とかなり近いかも。ただ私の場合「どうしようもない奴を無視」できないのですね。

以下、ちょっと暴言モードになってます。

初心者を大切にするのはいいのだけれど、時々「勘違いな人」が出現するのが やりきれないのですよね。ネット上のコミュニティで一方的にサービスを受けるのが 当然だと思っている人。 私が書いた [FreeBSD-users-jp 40584] から引用すると、

> そもそも、助けられた人がFAQをつくるというのが、ここの義務ですか?
> 義務でもないものを、命令口調で言わないで頂きたい。

  あなたのこういう認識は、はっきりいって全く容認できないです。

  まず、質問したことをまとめるという行為は「義務」ではないです。
しかし「義務ではない」のは、まとめる力がない人にまで義務化するべ
きではないからです。

#  いわゆる初心者が質問するときの障壁になってしまう。

  質問した側なのに、「義務ではないから」というような言い訳をする
方というのは、これまた立場を履き違えているとしか思えません。

  あなたの意見は正論かもしれませんが、やるべきこと、つまり

    自分の質問と答えを客観的にまとめて、他の人のために役立てる

ことを「義務じゃないから」といって拒否するような人間の意見をま
ともに取り上げようという気には全くなれません。それなりの行動を
まず行ってから意見を発表されてはいかが?
という感じ。この人の場合はその後 QandA へまとめを出そうという気には なったらしいのだけれど、
これを、QandAプロジェクトに送れば良いとのことですが、
実際、どこのアドレスに送れば良いのでしょうか?
また、特に形式などはありますでしょうか?
なんて書いてる。メールの書き方からみて自力で検索するだけの能力はあると 思われるのに、 www.jp.freebsd.org を見れば 5 秒でわかることを質問してくる人というのは理解できませんね。 ある人が
# なんで自分で調べようとしないの?
とフォローを入れていたけど、その通りだと思う。 こういう人を放置できないのは私の大きな欠点かもしれない。

「Satoshi -the Wraith- Asami」について、 やせこけた人 じゃないと思うです (ごめんなさい > あさみさん)。

PAO が FreeBSD 本体に merge されない件について、 Nate が PAO に個人的怨恨を持っているらしいというのも一つの理由なのですが、 PAO を開発している日本側にもかなり問題があったと私は思っています。 本家の ML で PAO の仕様を提案して merge していく努力が足りなかったのは 確かですし、 PAO の開発を事実上一人でまとめていた細川さんが多忙になって しまってから中川さんが開発を引き継ぐまでの間も今になってみると けっこう惜しいです。

語学能力的な問題もあって日本の我々が FreeBSD.org の本家の人間と対等に やりあっていくのはかなり難しいのですが、だからといって日本のユーザだけで 固まってしまっては元も子もありません。これからはもっと世界に目を向けて 開発していかなきゃならないと思っています。 FreeBSD の日本人 committer は浅見さんの   陰謀   努力でどんどん増えているのですが、日本語ドキュメントや ports 担当の方が ほとんどなのですよね。 PAO や newconfig の開発の中心になっている方々が committer になって 開発を進めるようになればいいのにな、と思っています。


Last update: $Date: 1999/05/04 16:12:28 $