何かとあって日記書くことができなかった。簡単にまとめ。
江洲さんとこの 宴会へ。豆腐ようは非常に濃厚なチーズのような味だった。いろいろなものを鑑賞。
前日の後遺症でほとんど何も出来ず。
jp.FreeBSD.org のサーバの調子が変。原因を追及するもよくわからない。何かくやしい。
夕方に某 I 社へ。岩崎さんと待ち合わせ。栗山さん、花井さんといろいろ話す。 Jordan がとっくに成田に着いているはずなのだが全然連絡がない。そのうち 2 時間 後の飛行機に乗った Warner からホテル到着との連絡が入る。
歩いて渋谷のホテルへ。ロビーで Warner に会う。フロントで聞いたら Jordan は まだチェックアウトしていないとのこと。約束の時間に近づいてきたので、岩崎さんと Warner とで秋葉原へ移動開始。
たん清にて welcome 宴会。私達の移動中に Jordan から連絡が入ったとのこと。何と 飛行機に乗り遅れたらしい。乾杯の練習をしているうちに花井さん栗山さんと共に Jordan 登場。花井さんたちは仕事があるとかでその足で会社へ帰還。 ご苦労様でした。
宴会の前半は某 A 社主催の座談会。座談会以外のメンバー (私も含む) は周囲の テーブルで飲み。かなり盛り上がってしまい「静かに」と注意が何度も 入ってしまった (^_^;;。座談会終了後はみんな一緒になって宴会。
Jordan と Warner は某 M 社のインタビュー。私は担当ではないのでゆっくり休む。 午後家をでて updraft2が置いてある某所へ。 OS のバージョンアップやら何やら。
*BSD BOFのために幕張へ。思ったより作業に時間がかかってしまったので遅刻してしまう。 今回の BOF はほぼ時間通りに終われたが、内容は検討の余地あり。 Jordan と Warner の部分を別セッションに移すなどして分割したほうがいいんだろうな。
終了後、何人かの方々と神田へ移動して宴会。非常に美味しい魚と日本酒を楽しむ。 かなり高価だったがそれだけのことはあった *1と思う。 BOF で「BUG : BSD Users Group」構想が発表されたが、
あたりも登録すべきではという話がでる。
私たちのグループ以外では、幕張で宴会した後で付近に在住する T 氏宅で夜を 明かしたグループ、馬活動で三郷へ行ったグループなどがあった模様。
何とか朝早くに起きて渋谷へ。 9:30 に Jordan, Warner, それに中根さんと 待ち合わせて某 A 社へ。インタビュー終了後、秋山さん *2が合流して近くで昼食。
Warner がおみやげを買いたいとのことで新宿の高島屋タイムズスクエアへ移動。 見て回るがあまり良いものがない。隣の紀伊国屋書店をちょっと見た後で渋谷へ移動。 Jordan と Warner はホテルの部屋へ。私たち 3 名は喫茶店に入って時間潰し。
地下鉄で JUS 勉強会へ移動。出席者は去年より少ない感じ。やはり毎年だと有り難みが薄れるのかも :-)。 終了後、隣の中華料理屋で宴会。飯島さん、佐藤さん、緒方さん、私というテーブル だったが、飲み放題ということもあってかなりの勢いでビールやサワー等を消費。 たぶん他のテーブルの倍以上の勢いで飲んだんじゃないかな (^_^;;。
有志 8 名で太昌園本店へ移動して 2 次会。
数日前から一部で話題の creat 問題、私が持っている本だと
に載っているのですが、そもそもなぜ最初 creat にしたのかが謎です。
よく聞く話として、アセンブラの label 名が 6 文字までだったので _creat で 6 文字になるようにしたというのがあります。初期の UNIX 処理系でそういう制限が あった可能性 *1は確かにあります。でも unlink, setuid, setgid のようなかなり初期 からある system call で 6 文字のものが存在するので、これが事実とすれば、 unlink などが導入される前の本当に初期の話ということになります。
unlink, set[ug]id 等の 6 文字の system call がいつから存在するかですが、 V5 UNIX (1974?) では既に unlink, set[ug]id とも存在します。市販書の Lions' Commentary に収録されている V6 UNIX (1975) はその次のバージョンなのでこれらは 当然存在します。
これより前に遡る文献は私は知りませんが、 V1 UNIX (1971) より前の PDP-7 で 動いていた UNIX の原型 (1969) では既に i-node が使われていたらしい *2ので、この段階で unlink が存在した可能性はそれなりにあると思われます。 creat が 5 文字である必然性があったとすれば、たぶんこの最初期の時代のこと ではないでしょうか。
ただ、 Ken Thompson がわざわざ「UNIX を設計し直すなら creat を create に」と 言っていることから考えて、彼の勘違いが理由である可能性も相当に高いような 気がします。
今日が公示。投票日が 6/25、私が八王子市に転入したのが 3/30。 3 ヶ月に ぎりぎり足りないので公職選挙法の規定により前の住所地、つまり山梨での投票に なるらしい。
うーむ、あんな所までいちいち行かなきゃならないのか。郵便か何かで済ますことは できないのかなぁ。山梨県第 3 区は自民党の建設省 OB で民主党が農林水産省 OB、 どちらも地元の利権に密接に結びついている省庁の出身。「地元へ公共事業を」が 最優先の土地柄だから当然の話なのだろうけど、既に山梨を離れた身としては どちらにも入れたくないぞ。
比例代表区は南関東なので神奈川、千葉、山梨という区になる。よくわからない 組み合わせだ。
追加:
遠隔地投票の件について二人の方から教えていただきました。元の住所地の 選挙管理委員会から不在者投票の封書が届き、それを持って現住所の選挙管理委員会で 投票すればよいとのことです。ありがとうございました。
八王子の町に出て買い物。三省堂書店が入っている 東急スクエアが定休日 (;_;)。くまざわ書店を巡る。地下のコミック売り場で以前 話題になった袴な本が 10 冊以上平積みにされていて苦笑。思わず買ってしまいましたよ。 同じ作者の「わずかにとしがい」という似たような表紙の本も平積みされていました。
の CATV 接続がまたしても調子悪い。外の WWW を見るときに使う proxy server に 接続しようとするとしょっちゅう time out してしまう。
今晩来週水曜日の 0 時から 9 時まで月に一度の定期メンテナンスがあるので、この間に 改善されるといいのだが、どうなることやら。
jkh & imp 訪問で iwasaki さんが 10 人の方をまとめて 売ったcommmitter 候補として推薦したのだが、 全員完売となった全員 core に承認されたとのこと。 iwasaki さん自身も あまりの売れ行きの良さにびっくりあっさり承認されて驚いているようだ :-)。
推薦された方々の中にもあっさり通ると思ってなくて心の整理がついていない方が いらっしゃるようですが、 皆さん、よろしくお願いいたします。
それにしても、 この日の宴会は結果的に committer を作るために開いたようなものだったような。
うちのサーバから外に出る IPv6 なトンネルを掘ってみるテスト。 無事出られるみたい。一つ重大な問題があるんだけど、 IPv6 な環境にすることも できそうだ。
おうちサーバの firewall の設定をきつめに直した。 \
紀伊国屋書店へ寄る。
妙に奇妙な取り合わせ :-)。
一昨日の日記を補完。
おうち LAN が IPv6 reachable な環境になる。詳しくは後日補完予定。
最後のは付録に DVD のチェックプログラムがついていたから。
1 回だけクリアしてからずっと放ってあったのを再開。マルチ、琴音、葵の順に クリア。葵ちゃんがとても良かった。
1.4ZD になっている。 basesrc/crypto/dist 以下に openssl のソースが入って 以前のような作業をする必要がなくなった。でも IDEA まで有効になってしまうらしい のでちょっと難あり。
1 回目は src/usr.sbin/rpc.bootparamd で fail。 bootparamd.c の該当部分 :
/* * Do NOT change the "%u" in the format string below to "%lu". If your * build fails update the "rpcgen" program and use "make cleandir" and * "make includes" in "src/lib/librpcsvc" afterwards. */ errx(1, "unable to register BOOTPARAMPROG version %u, udp", BOOTPARAMVERS);
commit logを読んでみると、ここのところでひっかかって何度も修正した形跡あり。 解決方法がわかっているんだったら rpc.bootparamd を build する前に rpcgen を update するように Makefile を書き換えるとかして欲しいぞ。
このあたり、 FreeBSD のほうが「間違いなく build できるように」という配慮が されていると思う。 chroot な環境を使ってbuild と install を別にしている点 *1も FreeBSD の長所。
訂正 : chroot 使ってるのは make release の時のみです。
昨日の続き。 NetBSD にも DESTDIR という仕組みがあるのですが、
のですよね。 /usr/include や /usr/lib を入れ替えるのは build が成功してから にしたほうが安全なわけです。 NetBSD では userland 全体を頻繁に make する人が少ないのかな。