Motoyuki's Diary (1999 年 10 月)

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10 月中旬 : [10/18] [10/19] [10/20]
10 月下旬 : [10/21] [10/22] [10/23] [10/24] [10/29]

10 月 29 日 (金)

今日この頃

山梨の下宿に電話して留守番電話をチェックしてみると何件も入ってる。 日本を離れていた 1 週間のうちにいろいろあったらしい (汗)。 fatal なものはないのだけど、同級生にちょっと迷惑かけてしまったらしい。

基本的にもう大学での講義はないので、家にこもってお勉強な日々。 これが来年 3 月まで続くと思うと非常に憂鬱になってくるね。

10/26 (火)

都内某大学の某研究室に行く。研修医の 2 年か 3 年を終えてから研究のために 入りたいなと思っていたところ。

自分自身の進路については、まだかなり迷っている面がある。 本当にどうしようかなぁ。

都心に出たついでに神保町界隈や新宿をめぐって買い物。 某新 OP の CD Single がなかなか見つからずに何軒か回る羽目になった。 結局、新宿の HMV で購入。

10/28 (木)

母方の祖父の 3 回忌。もう 2 年も経つのか...。

変なひと

fj で話題になっている某氏については furuta さんのいう「自我形成に失敗した人」 という分析が正しいのではないかと私も思います。

そちらについてはもう相手にしないと決めてるのですが、昨日から今日にかけて fj で別の変な人を相手にしてしまったような気が...。雑誌に連載持つレベルの 人だけにもうちょっとまともだと思ってたのですけどね。がっかり。

Linux な雑誌で連載を持ってたりする 中村氏 については、 最近の IBM AS/400 への肩入れははっきり言って変だね。彼って UNIX 的なセンスが あまりないのではないかという気がするよ。彼が Linux 関係で書き始める前の 著作や連載をいくつか読んでいるけど、 UNIX の話は皆無に近いもの。 周囲には UNIX 使いはいたらしいとの話もあるけど、 Linux ブームに乗って 急遽参入してきた一人というイメージを私は持っている。

Web 日記から

流行りもの

猫チェック、結果は

ねこねこ度 50% : ちょっとだけ猫ぽいタイプ
ねこ好き度 20% : 猫は嫌いじゃないタイプ
あなたは「猫?!そんな生き物もいたっけ・・・」程度しか 猫を思っていませんね。

妥当な結果だ。 続いて LEAF 度 チェック、結果は

あなたは 37.51 % リーフに汚染されています。
汚染レベル 3 (1 〜 11) の『中級』です。

PC 用を 1 作品しかやったことがないにしては思ったより高い数字かも。最後に 女の子の 好み、結果は

あなたの変態度は 28 です。
まだまだ修行が足りんぞ
だそうです。

EPSON PC-386GS

ここ数日やっていたのは昔々の EPSON PC-386GS の再生作業。

以前に SCSI 100MB のハードディスクを 余っていた 1GB のに換装したが、この時は SCSI I/F が FreeBSD(98) に対応していないものだったので FreeBSD マシン化を断念していた。

今回、中古で MELCO の IFN-SC という C バス用 SCSI カードを入手したので もう一度試してみた。

結果は (;_;)。ディスクアクセスの際にランダムに kernel がお亡くなりに なってしまう状態。 panic() までいかない完全なハングアップだ。 2.2.8, 3.3 と試してみたが、最小限のインストールすら終了しない。 インストーラを使ったインストールを断念して完全に手動でインストールしてみると なんとか最後までインストールできた。ディスクアクセスのタイミングの関係か、 インストーラで一気にファイルをコピーしようとすると確実にお亡くなりになる ようだ。

インストールは一応できたが、それでもある程度の頻度で kernel がハングアップ する状況が続く。ディスクの設定は一通り試したし、 CPU (Cyrix 486DLC に換装済) 関係の設定でもないらしい。

とりあえず、緊急時のターミナルとしての使用や, ネットワークを利用した ファイルのコピー*1 は何とか可能になった。でも数時間以上の運用は無理だな。

*1 : PC-386GS は今では数少なくなった 5 inch FDD マシン。以前はフロッピー経由で データ交換していたけど、うちの IBM 互換機系マシンに唯一ついていた 5 inch FDD ドライブが故障してしまい、代替ドライブがなかなか買えないので

それなら FreeBSD(98) もインストールしてネットワークで接続すれば

と思い付いたのが今回の出来事のきっかけ。 我ながらかなり迂回した解決法だと思う :-)


10 月 24 日 (日)

帰宅

成田エクスプレスで新宿へ。数分の待ち合わせで京王線の急行があったので それに飛び乗る。

8:40 過ぎに帰宅。

メール未読が 810 通も貯まってるよ。読む気力はないので、前もって書いておいた 10/21 以降の日記を Rim に送るだけ。おやすみなさい。


10 月 23 日 (土)

帰国

荷物を整理して check out。予約した時の Room Rate より高く計算されていたので 抗議して安くしてもらう。ホテル 11:10 発の Airport Shuttle に乗って空港へ。

空港で同じ飛行機に乗っていく takehiro さんと再会。昨日は私と同じようなところを 見て回ったらしい。

UA 837 便で帰国。行きと違って満席状態で非常に疲れた。初老の男性ふたりに はさまれる形の席なので、肩や足がぶつかるし (;_;)


10 月 22 日 (金)

再び Berkeley へ

Berkeley のホテルに 3 泊もしながら UCB のキャンパスを全く 見れなかった*1 のが悔しいので、 BART に乗って Berkeley へ。

UCB の構内を散策。緑豊かなきれいなキャンパスで、芝生の上を リスが遊んでいたりする。建物も風格があっていいなと思う。 日本の大学はあちこち行ったけど、これに匹敵するところはないと思う。 それどころか足下にも及ばないところばかりかもしれない。

Student Union 近くで朝食。ちょうど 10 時頃だったので 学生がいっぱい入ってくるのを見ながら休憩。

BART の駅に戻る途中で takehiro さんに出会う。昨日 SF 市内に宿泊して 私と同じように UCB 見学に来たとのこと。まさかこんなところで再会するとは 思わなかったよ (@_@;

*1 : FreeBSDCON '99 が開催された Radisson Hotel Berkeley Marina は 東京でいうと賑やかになる前のお台場のような場所で Berkeley のダウンタウンから かなり距離がある。

SF 市内観光

BART で SF 市内の Powell 駅へ。 SF 名物ケーブルカーの Powell - Hyde 線に乗って Fisherman's Wharf へ。ほんとうは Alcatraz Island へ行きたかったのだけど、 当日のチケットはとっくの昔に完売していたので断念。ぶらぶらと散歩。 いろいろとアトラクションがあるようだが、その手のものには ほとんど興味がないので無視。

今度はケーブルカーの Powell - Mason 線に乗って Union Square へ。 いくつかの店を見ているうちにかなり疲れてきたので、MUNI METRO に乗って ホテルへいったん戻る。

夕方までホテルで休んでから再び MUNI METRO で Union Square へ。 Borders Bookstore でゆっくりと本探し。実はこういう本屋巡りが一番好きな 時間だったりする :-)。

欲しい本をみんな買っていると帰りの荷物がめちゃくちゃ重くなってしまうので、 お土産用の本と最近出たばかりの本に限って購入。

Virgin Megastore をのぞいてから MUNI METRO に乗ってホテルへ。 明日の空港までの Shuttle を予約してからおやすみなさい。


10 月 21 日 (木)

午前

今日も 7:00 に Terminal Room へ。日本では 23:00 なのでメールのやりとりしたり chat をするにはちょうど良い。メールでとある仕事が飛び込んできたり。

今日でホテルを出るので、荷物を整理して check out。トランクは フロントに預けた。

朝いちのセッションは Apache Project の Brian Behlendorf による FreeBSD and Apache: A Perfect Combo。プロジェクターで写し出す資料などは 一切用意されず、ただ早口で喋るだけだったので話になかなか (ほとんど ?) ついていけない。

FreeBSD では apache 関係の ports が何種類も用意されている、利用者も 非常に多いのだ、なんて話になっていた (ような気がする :-) けど、 あれってバラバラに存在するだけで統一とれてないのだよね...。 インストール先のディレクトリ名とかログファイルの名前もバラバラだし。

午前 2 コマめは Nik Clayton による FreeBSD Documentation Project へ。 今年の春から夏にかけてメールでさんざんやりとり (喧嘩 ?) した因縁の相手*1 だ :-)。 Nik のプレゼンは話がゆっくりだったし自分でもよく把握している分野なので 非常に聞きやすかった。

内容は doc で扱っているものの簡単な紹介、ドキュメントを書くのに使っている SGML についてのかなり詳しい説明、現状説明、これからの予定など。 なかなかよくまとめていたとは思う。 SGML についての説明はそこまで時間を 割く必要はないようにも思えたが、参加者の中には SGML を知らない人もいる だろうから仕方がないかな。

Nik の話とは直接関係ないが、最近の doc project って絶対に変。 SGML のソースの中のテキストでピリオドの後のスペースを 1 つ入れるか 2 つ入れるかで激論が交わされていたりする。我々が実際に読む Web とか ハンドブックでは sgmlformat や jade を使って整形が行われるので、 SGML のソースで空白をいくつ入れようと全く影響しないのだ。 ソースを読む時の読みやすさは多少変わってくるのかもしれないが、 ああいう非本質的な議論によくもまぁ熱中できるものだと思う。 翻訳している doc-jp としては、スペースの数を調整されると前の revision との diff がとりにくくなるので、そんな無意味な調整はできるだけ避けて欲しいのだけど。

*1 : FreeBSDCON '99 に日本から参加した一部の方からは doc-jp の関係者が 3 人も 来ているから「実際に会って対決?」なんて言われたけど、 あれはもう過去の出来事だし、メールのやりとりでまともな答が返ってこない 人間と英語でリアルタイムに討論しても無駄だと思うので何もしなかった。

午後

明日から数日メールの読み書きができなくなるので、ターミナルルームで いろいろと作業。その後、 Conference 会場をぐるぐるしてデジカメでいろいろ撮影。

Greg Lehey による Vinum Basics に途中から参加。 実際にマシンを持ち込んでいろいろやっていた。 個人的にはほとんど知らない分野だったり。

午後 2 コマめは Prominent User Panel へ。 USWest や Yahoo のようなユーザのパネルだったのだが、疲れがたまっていたので 半ば睡眠モード (汗)。

全員が集まって Conference Wrap-Up。 Jordan が壇上に立って Conference で働いていたスタッフを紹介。 Jordan の使い走りをさせられていた Mike Smith ご苦労さま。最後に「また来年の FreeBSDCON で会おう」でおしまい。

いろいろ挨拶してお別れ。 takawata さんがフロントに預けていた荷物の一つが なくなってしまった事件が起きたが、何とか解決したらしい。

San Francisco へ

takawata さんと takehiro さんはタクシーで SF 市内のホテルへ。 itojun 号は Santa Clala へ。私は SF 市内の Holiday Inn Civic Center を とっているので BART*2 の駅へ。

会場のホテルに翌日まで泊まる hanai さんと kuriyama さんがバークレーの 町に食事に行くということなので、そこまで一緒にバスで行くことにする。 ホテルからちょっと歩いてバス停へ。

バスがなかなか来ないのでちょっと (かなり ?) あせったけど、 30 分くらい 待ってやっとバスが到着。 BART の駅そばで降りて hanai さんたちは食事へ、 私は遅くならないうちにホテルに着きたいので BART に乗り込んだ。

Holiday Inn は Civic Center 駅から歩いて半ブロックの所。チェックインして 部屋へ。ちょっと休憩してからホテルを出て近くの店でハンバーガーの夕食。 ドラッグストアを見つけてデジカメ用の電池とジュースを補給。

歩いてホテルに戻ったのだけど、 9:00 近くになると Market Street でも あまりガラが良くなくてちょっとドキドキ。

*2 : SF と近郊の都市を結ぶ地下鉄。

10 月 20 日 (水)

早起きして 7:00 に Terminal Room へ。ちょうどこの時間に開くのだ。 昨日は 7:00 にはもう人でいっぱいになっていたけど、今日はガラガラ。 さすがに疲れた人が多いのだろうか。

昨日のこの時間には So-net と Rimnet への接続状態が非常に悪かったのだが、 今日は普通に使えた。何かあったのかな。

午前

朝いちのセッションは Samba Project の Jeremy Allison による Samba Futures。最初に Jeremy が「Samba 使ってる人」と質問したら 参加しているほぼ全員が手を挙げていた。やっぱりね。

Samba の I18N については、

  Plan: Samba internal to use UCS2 for all filename strings
        and to convert to DOS/UNIX codeset when needed.
と言っていた。あと oplocks が完全に実装された話とか、 Primary Domain Controller Support の話とか、 Windows 2000 対応の話とか。 Win2K に関連して、 Microsoft が API をどんどん追加するので どうやって API の仕様を公開させるかとか標準的な API を使うようにさせるか といった話も出た。

午前 2 コマめは Quality of Service Support in Eclipse/BSD というのに 行った。 FreeBSD を元に開発された Eclipse/BSD というパッケージの話なのだが、 面白くないので途中で退出。

今回の FreeBSDCON '99 では朝いちの Keynote Speach は全員が出席できる 形だが、あとは複数のセッションが平行して行われていて自分が興味あるものに 参加する形式になっている。で、初日の午後に Nick Hibma の FreeBSD and USB と itojun さんの KAME IPv6 and IPsec が同時間にぶつかって 悔しい思いをした人が多いのに、今日は面白くないセッションばかりだったりする。

昼食はホテルの中庭でホットドッグと各種サラダ、それに骨付き肉。

FreeBSDMall の出店に行って、でーもん君グッズを数種購入。

午後

Apple の Fred Sanchez による FreeBSD and the Darwin Project。 かなり期待していったのだが、概念的な話が多くて残念。 セッション参加者との質疑応答が長かったのだが、話すのが速すぎてついていけず。 自分の英語力不足をまたしても思いしらされる (;_;)。

午後 2 コマめは Mike Smith による Intro to FreeBSD Device Drivers、 だったのだけどあまりに眠くてダウン。部屋に戻って仮眠。 面白くないセッションのときに早めに退出して休憩し、 体力を温存しておくべきだった (;_;)。

夜は Hornblower Dinner Cruise。ホテルの桟橋からかなり大きな船に乗る。 甲板の上に 1 階と 2 階に分かれた大きな部屋があって、合計 300 人が 食事できる代物。

日本から来たメンバーで何となく集まって船の 2 階のテーブル 1 つを占領。 itojun さんとか asami さんのように英語が堪能だと英語 native な人々の間に 入っても不自由ないのだろうけど、そこまで自信がない (;_;)。

昨日夜のセッションのビデオを McKusick 御大自らが売りに来る。一本 $30.00。 セッションの休憩の時の T シャツ販売といい、御大はとても元気だなと感心。 我々のテーブルはミーハーな日本人なので購入した人多し。

テーブルのすぐ横がバーのカウンターだったのだが、 McKusick は何度も 来て酒を注文していた。

でーもん君は昔はスマートだったのに 最近はまるで妊娠しているかのような腹になっているのは何故だろうか

というのが昔からの疑問だったのだが、 McKusick の姿を見た我々は

あれは McKusick 御大のビール腹なのだ

ということで意見が一致した :-)

船はサンフランシスコ湾の中を周航してゴールデンゲートブリッジ (だったと思う) のすぐ下に行ったりあちこちを巡っていた。もう少し明るいうちに出港していれば 夜景だけではなくもっときれいな景色が見られただろうなと思う。

船のデッキにも出て景色を楽しめたのだけど、とても寒かった。 我々のテーブルはデッキに通じる戸の近くだったので、人が出入りする度に 冷たい風が吹き込むのにも閉口。

19:00 ちょっと前に出発して 22:00 前にホテル前桟橋に帰着。 この Dinner Cruise の料金も Conference 参加料金に含まれているのは 非常にお得だと思う。期間中は食事が出るので食事代は必要ないし。


10 月 19 日 (火)

Berkeley 一帯で断水らしい。おかげで洗面もできず。

7:00 に Terminal Room へ。日本から出席の皆さんが勢ぞろいして メールの読み書きしている。私も接続して fetchmail を起動したのだが 非常に遅い。いつも使っているプロバイダのメールサーバに ping してみると 5 秒くらいかかる状態。日本はちょうどテレホーダイな時間だからか。

しょうがないので、 ssh で

ssh -L 110:プロバイダのメールサーバ:110 某サーバ

として迂回経路を作成したら順調に読むことができた。

7:30 に朝食。 FreeBSD Conference 参加者向けにパンやジュースが 用意されていたので、それを食べてから再び Terminal Room へ。 もうちょっとまともな物を食べたいような気もしたけど、食事代が浮くから まぁいいか。

午前

最初は Jordan による FreeBSD, State of the Union。 FreeBSD のこれまでの簡単な経緯とこれからについて。今後については 今年暮れに 3.4、来年春に 3.5 がリリースされる予定。 FreeBSD 4.0-current が 4.0 と 5.0 に branch するのは来年とのこと。

6 月に日本に来たことにも触れて、 USA では FreeBSD の本がほとんどないのに 日本では棚にいっぱい売られていた、と言っていた。アスキーの BSD Magazine のことも BSD の専門誌が出たと紹介*1 していた。

冗談が MagicPoint 使って発表していた 資料は Web にあるらしい。

午前 2 コマめは Mark Murray の FreeBSD System Security へ。 System Security で要求されるのは Paranoia であることらしい :-)。 彼の Favorite Things は

  1. ssh
  2. Kerberos V
  3. PGP
  4. Backup tape drives / CDROM writers

とのこと。日本だと Kerberos 使ってる人はほとんどいないよな...。

昼はピザを数種類。やはりタダで食べれるのは嬉しい。

時差ボケもあって疲れていたので部屋に戻ってちょっと休憩、と思ったら 夕方まで寝てしまったよ。

*1 : 各雑誌の編集部から見本誌をもらっておいて有名どころに寄贈すればよかったね と花井さんと話していたのだが、 冗談のところに小さな段ボール一箱送ってあったらしい。 アスキーさんはそのあたり抜け目がないのであった。

夕方

ホテルの中庭で Beer Bash。このあたりのビールを飲みながら談笑。 英会話能力が欠如していることを改めて思い知らされる。

協賛各社のブースを見て回る。 Applix が Applixware Office for FreeBSD を 展示していたので、日本語版の FreeBSD Native Binary も出して欲しいなと リクエスト*2 しておく。

プログラムにはなかったけど McKusick が History of UNIX at Berkeley というのを 18:30 から話すというのでそちらへ。内容は Berkeley に UNIX が来た 当初のことから。 Bill (もちろん Bill Gates ではなく Bill Joy) がどうした こうしたとか、でーもん君の由来とか、いろいろ。

McKusick が一時間半くらいしゃべりにしゃべりまくったところで休憩。 段ボール箱を持ち出して来たなと思ったら McKusick 版のでーもん君 T シャツと ポロシャツの実演販売開始。私も 1 枚ずつ購入。現金を持っていない人向けに クレジットカードで売る準備をしていたのにはビックリ。 それにしても McKusick のこの元気さには脱帽するしかないぞ。

中庭で提供されているビール飲みながらの気軽なセッションにしようという McKusick の意向もあってビール片手に話を聞いていたのだが、 私の右隣りの一団 (名前失念) はすごかった。何度も部屋を抜けてピッチャーに 何杯もビールを持ってくる。

私のすぐ隣り (これも名前失念) の T シャツは、後ろが "Bill Says: Buy it" と銘打たれた ツノを生やした Bill Gates の写真、 前は "Intel 80666: Pentagram" という代物。 Intel Inside のロゴのバックが Pentagram の星印になっているという念の入れよう。これには思わず笑ってしまう。

結局、 3 時間近く McKusick が話まくって終了。聞いているこちらのほうが 疲れてしまったよ :-)

*2 : Pacific Hitech (現 Turbo Linux Japan) は最初 FreeBSD 用の日本語版 Applixware も出すと言っていたのだけどね。

Web 日記から

流行の ストライクゾーン チェッカー、私の結果は

あなたの本来のストライクゾーンは9〜24歳です。

だとか。 9 歳というのは... (以下略)。萌えの対象が (途中略) なのはそうかもしれないが、基本的には自分と同世代が好きなんだけどなぁ。


10 月 18 日 (月)

昨日まで

10/10 (祝)

FreeBSD 友の会スキー部 :-) で SSAWS へ。

荷物持っていくのは重いのでレンタルで済ませようと思ったのだが、 私の足に合うブーツは見つからず。しばらく滑っているとアキレス腱の部分が 押さえつけられて非常に苦痛。次回からは最低限でもブーツだけは自前のを 持参しよう。

10/17 (日)

水曜日に提出しなければいけない臨床検査医学のレポートで四苦八苦。 おまけに某原稿の校正も済んでないし、非常に大変な状態。 自業自得な面が大きいのだが、徹夜仕事...。

FreeBSDCON '99 へ

仕事完了

睡眠時間 1 時間ちょっとという状態になってしまったが、出発前に済せなければ いけない仕事はすべて終了。レポートは友人宅へ郵送して代わりに提出してもらう。

NEX

八王子の実家から京王線で新宿へ。新宿から成田エクスプレス。 成田エクスプレスのグリーン車*1 に是非一度乗ってみたかったので、高かったけど奮発。広々として気持ちが良かった。

浩之ちゃんと一緒 :-)

空港に着いて、搭乗口付近で待っていると一緒の飛行機で行くメンバーが 集まってきた。航空券は別々に手配したので座席もバラバラだろうなと思っていたら、 飛行機の最後列で 浩之ちゃん の隣だったり :-)。 二人とも HIS の格安航空券だからだろう。

あかりだったら大喜びするところだろうけど、男二人が並ぶと肩がぶつかって 狭いので、私が横の座席に移動して二つずつ座席を占領。

*1 : 普通の特急の車両で座席が片側 1 列という非常に贅沢な車両なのだ。

現地到着

サンフランシスコ到着。 itojun さん が借りたレンタカーに便乗してまずは南へ。 San Jose の Fry's を見たり Computer Literacy Bookshop に行ったり。

湾の東岸を北上して Berkeley へ。会場は Radisson Hotel の Berkeley Marina。 Check In して、部屋でちょっと寝て、 Welcome Mixer の Registration をして、 Terminal Room でこの日記書き。

Web 日記から

英語力 だけが問題 だったら来れば良かったのに。私自身、会話する能力はほとんど 無かったりします :-)

坂本さんの 日記が変に表示 されていたり、 レミィ   複素数  江洲さんの日記 の更新時刻が変になるのは、 Rimnet に置いてある日記更新調査システムの問題のようです。 場所の変更を含めて検討中なので、しばらくお待ち下さい。


10 月 7 日 (木)

偽者

最近 FreeBSD-users-jp で偽者が横行しているらしい (事実誤認)。 私の場合は姓だけなのでまだいいが、 junichi さんの場合は名の読みまで同じ (漢字は違う) ので非常にややこしい :-)。

偽者というのはもちろん冗談だが、身に覚えのない Subject: でいきなり

今野さん>
> なにやらかにやら
> ほげほげ

のような記事を読むのはちょっと心臓に悪かったり。

今野というのは珍しい姓ではない*1 ので同姓の人が出てくるのはある意味当然の話ではある。そういえば motoyuki という名も実はけっこういるらしく、プロバイダに好きな名前で登録したくても できない所がある。

これが欧米にいくと同名がいっぱいいるので話はもっと面倒になる。 FreeBSD でも新たな committer が登録される時には

君は Mike III だぞ

とかいう話題になることがある。日本で話題になる committer では FreeBSD doc project が Nik Clayton で USB は Nick Hibma。 字面はちょっと違うが読みは同じ「ニック」なので宴会で話題になった時は 混同しそうでちょっとイヤーンな感じ。

*1 : 今野と書いて「こんの」と読む名字は東北地方に多いらしい。私の家は宮城県の出。

東海村事故 (続)

事故から 1 週間たっていろいろと情報が出てきたのでコメント。

原子力施設で事故が起こった場合の処理は「自己責任」が原則になってるみたい ですね。 JCO が事故を起こしたのだし現場が会社の工場なのだから ある意味当然のなんだけど...。

今日でてきた日本原子力研究所の中性子線測定データ、臨界直後はものすごい値に なっていた。いったいどれくらいの放射線が出たのやら。

作業員の方でもっとも重症の方が浴びた放射線は 17 Sv (シーベルト) とのこと。 人体に与える影響を調べるには Sv を Gy (グレイ) という単位に変換する必要が あるのだけど、中性子線の場合の Sv と Gy の変換方法がちょっと わからなかった (X 線などでは Sv = Gy と考えてよい)。 読売新聞の Web をみると中性子線の場合は 1 Sv = 20 Gy という試算もあるようだが、 17 × 20 = 340 Gy も放射線を浴びた人はごく短期間 (1, 2 日) のうちに 中枢神経障害で亡くなるはずなので、これは変。

詳細を書くのはちょっと控えたい \ が、いずれにしても予後はかなり厳しいと思われる。 日本の医療の総力を尽くしてどれだけのことができるか、であろう。

中性子線で思い出されるのは中性子爆弾。今年 7 月には中国が実戦配備している との報道があったばかり。物質透過性と人への殺傷性がきわめて高い中性子線の 性質を利用した兵器なわけだが、以前聞いた話では

中性子線は地下室程度の地面の深さで遮蔽可能。 中性子線では残留する放射能はほとんど出ないので、地表にいる敵軍だけを全滅させ、 その後すぐに敵地を占領することができる。

ということだが、本当なのかなぁ。

Web 日記から

某 ML で盛んな議論が交わされているんだけど、誰もダメな話持ち出しませんね。 そういう雰囲気じゃないのかな。

にゃん カードでも登場したのですか :-)


10 月 6 日 (水)

今日

下宿のマシン群の構成をいろいろといじる。 新マシンに FreeBSD 3.3-STABLE を入れて、これまで -stable マシンだった eddie には NetBSD を入れるつもり。 ハードディスクを入れ替えたりしたので、けっこう作業量が多い。

悩んでいた新マシンの名前の件だが、某所で聞いてみたら

というアドバイス*1。 結局、 sakura と同じ Dualon マシンなので sakura の相棒の名前にしました。

*1 : この時、私が「Windy なんて名前にしたらデータが全部吹っ飛ぶかも」 と書いていたら、某お兄ちゃんが 「なんとかなるよ、絶対大丈夫だよ」 と書いたのには思わず笑ってしまった :-)。

連絡手段

一昨日の日記の 宴会の連絡 の個所は 思わぬ反応があって、一部の方に不快感をあたえてしまったようです。 ごめんなさい。あの部分は宴会の際に話題になった一般論であって、 土曜日の宴会は「飛び入り歓迎」を明記していたのだから飛び入りで参加連絡 してきた方々には何の落ち度もありません。

実のところ、私自身が (特に今の大学では) 「連絡取れない」「遅刻」の常習犯なので 他人のことなぞ言える身分じゃないのが問題。

この一年くらいの私は東京と山梨を頻繁に往復する生活を送っている。 下宿には留守番電話があるのですが、出先からいちいち留守番電話をチェックするのは 非常に面倒だし、数日間とか一週間くらいチェックを忘れることもしばしば。 PHS を購入した最大の理由は、

留守番電話は面倒だから連絡手段を一本化したい

だったりする。

さっき留守番電話をチェックしたら、実習で同じ班だった同級生からの連絡が 二件入っていた。卒業アルバムの件で集まれとの連絡なんだけど、 集合時間はとっくの昔に過ぎてる (汗)。

緊急や重要な連絡*2 が必要だと思われるところには PHS の番号を教えてあるから大丈夫と 思っていたのだが、彼らには教えるのをすっかり忘れていた。 ごめんなさい

*2 : 宴会の連絡が重要なことは言うまでもない :-)

10 月 4 日 (月)

昨日まで

9/30 (木)

総合医学概論の試験。試験勉強の他にもいろいろな用事が重なって めちゃくちゃ忙しい状況だった。試験結果のほうは何とか OK だと思う。 これで卒業までの関門は 12 月半ば *1 に行われる総合卒試だけ。大学の講義もほとんどなくなって、後は国家試験を 目指しての勉強の日々が始まる。

夜、山梨医大放射線科の第 2 回医局説明会。会場は リバーサイド*2 の焼肉屋「ぼくり」。 ちょうど東海村の事故の直後だったのでいろいろと話題になった。

10/1 (金)

今日は山梨医大の創立記念日で休み。昼過ぎに東京へ。

夜、 某所 にて 江洲さん の アルコール飲みたい発言をきっかけに急遽宴会することになる。私が enkai ML に投げて 久々の enkai ML 宴会へ。

*1 : ちょうど Internet Week 99 と重なる時期。 したがって *BSD BOF への参加は無理なのが悲しい。

*2 : リバーサイドというと格好よく聞こえるけど、要するに田富町の釜無川の岸近くに 新しく開発された地区。

FreeBSD 宴会

17:00 に ぷらっとホーム の 4F へ。 何か予想以上にいっぱいいる。私が昼過ぎに参加者の summary 出したときには 10 名前後だったはずなんだけど。店の方々には迷惑をおかけしてしまいました。 次からは店の外の道路で待ち合わせするとかしなきゃね。

こがさんがメモしてきた店に電話して予約し、 JR で東京駅へ移動。 店は東京八重洲の「夢酒 知花」。 LAG さん が秋葉原駅改札で合流したり、 小鳥 のお兄さん が「いま移動中だから」と電話してきたり、 梅本さん も参加する という電話連絡がきたりして、どんどん人が増えていく。 皆さんよっぽど   暇   宴会が好きなんですね :-)

東京駅から店に移動する途中で、そういえば 早紀ちゃん が参加表明して いたけどどうなった? という話になる。そういえば誰も把握していないし。 江洲さん がノートパソコンを取り出して PHS 経由でメール送って連絡。

店では一つの大きなテーブルを占領。この時点で小鳥のお兄さんだけには 店の場所の連絡がまだ。店は地下だったけど、幸い私の PHS の圏内だったので 連絡がとれた。遅刻してくる人こそ携帯 か PHS 持つべきだよね、という話になる。 小鳥のお兄さんはその手のものは全く持ってないので、店の中が圏外だったら 私が店の外でずっと待つ羽目になるところだった。

同じ Docomo の PHS なのに、私のは圏外で LAG さんのは圏外だった。 新しいモデルのほうが受信能力が高いのかな。

結局、正式なアナウンスが当日 1:00 am という状態だったにも関わらず、 参加者 19 名という大所帯の宴会になった。 早紀ちゃん, 梅本さん, 江洲さん, 太田さん, こがさん, 小鳥のお兄さん, 佐藤さん, 鈴木 岳大さん, 高橋さん, たかの ゆーじさん, YF さん, 古田さん, 山口 保一郎さん, 山本さん, 龍池さん, LAG さん, TER Software さん, 今野。もう一人の方の名前が思い出せなひ (汗)。

まともにアナウンスして宴会するとしたら、いったい何人来ることやら。

話題はいろいろ。 unsigned vs. signed だとか、 BSD Magazine にダメ記事が ないのは変だとか、参加された方々の日記を見るとだいたいの雰囲気がつかめる でしょう :-)

店自体は、こがさんが選んだだけあって良かった。九州方面 (場所は失念) の 地ビールがあったり、いろいろな銘柄の日本酒があったり。十四代とか〆張鶴とか 八海山とか。日本酒だけを楽しむならば 以前 行った「さくら」がいいけど、普通の宴会ならなかなかのレベル。

二次会参加者が 14 人もいるので、 JR で有楽町に移動して店探し。 結局、 去年の忘年会 で利用した 酒の穴 へ。 一つのテーブルが確保できず 4 + 4 + 6 に分散。私のテーブルは、他に 佐藤さん, 早紀ちゃん, 小鳥のお兄さん というメンバー。

忘年会の時は良い店のように思えたけど、今回行ってみると ちょっとダメ。日本酒が氷の中に埋めた容器に入って出てくるのだけど、 肝心の日本酒が冷えていない。何を考えているんだか。

11:20 過ぎくらいに 2 次会終了。有楽町から東京駅経由で帰宅。 二次会の記憶が全くない方もいた模様。

東海村の事故

事態はいちおう収拾されたようだけど、とんでもない事故が起こったものだと思う。 前の大学では原子力工学科に内定*3 した経緯もあり、基本的に原子力は推進派なのだが今回の事故には絶句するしかない。

原因については、定められた手順を守らずに作業していたのだろうなと思っていたら、 案の定その通り。ステンレスのバケツ使って手作業で核燃料の原料作るとはね。

阪神大震災の頃から、「危機に対応するマニュアル」のことがよく話題になる。 何か事故や災害が起こるたびに「マニュアルでは想定していない事故だった」 「今後のためにマニュアル整備」ということが繰り返されている。

確かにマニュアル作りは非常に重要なんだけど、「マニュアルになかった」を 免罪符にしているように思えてしまう。マニュアルにない事態でも臨機応変に 対応できる体制を整えるのが重要なんじゃないかな。危機の際の基本は、

なのだ。危機の初期では情報が集まりすぎて困るという事態はほとんどありえない ので、関連組織全部に情報を伝えてもいいだろう。

この調子では、何か事件や事故が起こるたびに「マニュアルにない事故が 起きたからマニュアル改善」を繰り返すんじゃないだろうか。

それにしても、リモートで作業可能なロボットを原子力設備がある地区に 配備しておくくらいは絶対に必要だよね。 工場の通路の大きさなどを規格化しておけば、 複数の施設で汎用に使うことができると思う。

*3 : いまの道に進んだので、本郷の学科には行っていない。とはいえ 半年間は原子力工学科の講義を受けてはいる。

今日

いつも通りに八王子から山梨へ。学生課教務係に行ってレポートを提出して下宿へ 戻る。今日は講義ないんだっけ。明日もなし、明後日は一コマ。

その分、国家試験の勉強しろというカリキュラム。

今日から、山梨医大の駐車場への入構規制が始まった。まだ申請が認められて いないので、車で学校へ入れなくなってしまった。 八王子から登校する朝は、いったん下宿によって車を置いてから徒歩で行くことに なるので、前よりずっと時間がかかってしまう (;_;)。


Last update: $Date: 1999/11/04 15:20:17 $