応援部 OB の E 藤君がニューヨークへ行くということで上野太昌園本店にて送別会。 太昌園は時々行くけれど、本店 2F で宴会したのは久しぶり *1。
主賓の E 藤君の他、総務 OB が私、 N 谷君、 S 戸内君、 K 村君夫妻、 E 斐君、 応援部 OB から S 田君、馬術部 OB から S 訪君、それに S 田さんというメンバー。 久しぶりに会った人も何人かいて、いろいろ話を聞く。
美味しい肉を食べて、眞露をかなり飲んで *2満足。
近くの居酒屋で 2 次会をして、中央線の快速終電で帰宅。
一月の労働時間が 356 時間で過労死とかいう話 *1もあるのだけど、そういう常軌を逸した過酷な勤務体制の改善の話はないのね。 「長時間労働は患者さんのためによいことだから当然」という感覚の医者 *2があまりにも多いからなぁ。
が最近しつこい。気になったものをいくつか。
昼の忙しい時間帯にのんびりと「アンケートをしたい」とか電話をかけてくる。 要はマイラインの勧誘をしたいらしいのだが、アンケートと称してまわりくどい 話をするのでとても嫌。何度もかかってきてあまりにもひどいので、 「勧誘リストから外して二度と電話して来ないで下さい」と対応した。
最近は連絡が e-mail か PHS になってしまったので、固定電話は月の通話料が 数十円くらいのオーダー。マイラインは東京電話で契約したのだけれど、 マイラインの変更手数料を払って変えるだけの価値があるような 「おとくなサービス」なんてあるのかね。
会社名を隠し「鈴木」などのポピュラーな苗字だけ名乗って来る場合が多い。
「苗字だけ」で取り次がれて来るのはほぼ確実に勧誘電話な気がする。 知人関係は e-mail でやりとりするし、(mail address を知らない) 昔からの 知り合いは「○×で一緒だった△△」のようにちゃんと名乗る人ばかり。
昼過ぎにダウン。起きていられなくなって午後ずっと眠ってしまった。
はひたすら寝続けていた気がする。いろいろやろうと思っていたけど、 日付が変わる頃にまた寝てしまった。そのまま朝までぐっすり。
またしても寝ている時間が相当に長かったような...。
けっこう長く昼寝。
八王子駅前に出て買い物。
金曜日 土曜日と某方面から宴会のお誘いがあったけれど、参加せずに家で休む。
10 時過ぎに秋葉原方面へ外出。
金 正日が拉致を認めて謝罪し再発防止を約束したとのこと。それにしても 4 名生存で 6 名死亡ですか。年齢を考えると死亡率高すぎます。用済みになって 強制収容所に送られたり処刑されたりして亡くなった方が多いと考えるべき でしょうね。
亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
中学生の時に拉致された横田めぐみさんの死亡も確認されたとのこと。 これを聞いて思い出したのが、韓国に亡命した北朝鮮の工作員の手記
での記述。 1988 年、工作員の養成学校である金正日政治軍事大学に在籍していた 筆者 (安 明進) は工作員の教官をしていた横田めぐみさんを何度も目撃した と証言している。次の記述 (156 ページ) に注目。
彼女たち二人 (引用者注: 横田めぐみさんと氏名不詳の拉致されたらしい 日本人女性を指す) は九一年頃、いきなり同時に学校からいなくなったからだ。 (中略) いなくなった理由は具体的には知らないが、何か間違いをおかして いなくなったのだろうと私たちは思っていた。
1991 年の時点で処刑されたか強制収容所に送られたのだろうか。
1990 年に大々的に北朝鮮を訪問しながら拉致問題を事実上無視した金丸とか 拉致された人の返還要求を フェアではないと言いきった社民党政策審議会長 (当時) の辻元のような大馬鹿者は 問題外としても、外務省など関係省庁や多くの政治家が拉致問題を まともに取り上げようとしなかった点はよく覚えておくべきだろう。 拉致の手段としてずっと昔から言われてきた不審船問題にしても、 ちゃんと対処したのはつい最近。
国内にいる普通の人が国外に拉致されても放置してしまう政府では 安心して暮らせません。
http://www.asahi.com/national/update/0918/013.html
めぐみさんは約10年前、27歳前後に亡くなっていたことになる。
昨日紹介した1991 年頃にいなくなったというのと時期がほぼ一致するよ...。
「犬語の話し方」はざっと眺めただけだけど犬好きな人に非常にお勧め。 犬以外の動物を好きな人に広く読んでもらいたいなと思う。
八王子みなみ野駅から横浜線で新横浜へ。新横浜でビールと つまみ用にシューマイ詰め合わせを購入し、 9:20 発のひかり 117 号に 乗り込む。
700 系に乗るのは初めて *1。乗ってみると天井が高い。最近の新幹線は高速化のためか天井が低くて 圧迫感を感じる車両が多い *2中、なかなか快適。 |
12:03 に新大阪着。地下鉄で移動だと面白くない *3ので、大阪駅に移動して環状線に乗る。
時計回り (外回り) で移動していると大阪城が見えてきた。大阪には何度か 来ている *4けれど観光したことは一度もないので大阪城へ行ってみることに。 大阪城公園駅で下車。
駅を降りて歩いているといきなりダフ屋に声をかけられる。大阪城公園には ホールがあってコンサートか何かやっているらしい。 路上で演奏しているバンドがいて騒音を撒き散らしていたのには閉口 *5。
ホールの横を通り、北側の極楽橋を渡って本丸へ。
さすがに大きい。城自体は徳川家が作ったもので秀吉の大阪城とは別物なのだけど、 けっこう最近まで「秀吉の大阪城」と信じられていたせいか、遺構の説明に 「秀吉時代の××と伝えられてきたけれど調査の結果実は徳川時代の○○」 というのが目立つ。 入場料を払って天守閣の中へ。周囲が開けているので展望台はなかなか爽快だった。 |
天守閣を出て南へ。本丸にあった大阪市博物館は城外に新館ができて 移転したらしい。旧館は元は軍事関係の建物みたい *6。けっこう良い感じの建物なんだけど、今後どうなるのだろう?
桜門から本丸を出て西へ。さらに大手門から城外に。 NHK と大阪市博物館の 新しい建物の横を通って地下鉄の谷町四丁目駅へ。かなり歩いたので疲れた。
地下鉄で恵美須町駅へ。日本橋に来たのは初めて。 OA システムプラザ横の空き地で 浅田さん、 伊藤さん、 筧さん、 佐野さんと待ち合わせて移動開始。
というのが実感。ソフマップで Dreamcast 用の US フルキーボードが売っていた のに惹かれたけれど、結局買わず。
Two Top の裏通り側の入り口にて。この「犬」というのはけっこうよく見かけた。 流行なのかな? |
Sofmap ザウルス前に十数名が集まって、天狗へ移動して宴会。 KNS は初めてだけど NEWS などで会ったことがある方が結構いるし、なぜか関東組も結構いるので 初めて参加という気がしない。
FIRST さんの CD のお土産をいただいた。「牛仔舞」という題名の Video CD。 マレーシアの華僑のために作られたダンスの教本 CD らしい。 「牛仔舞流行于美国南部」と書かれているけど牛仔舞って何だろう? *1
出発時刻が近づいてきたので、宴会の会計をしている途中で失礼して baru さんと一緒に地下鉄で大阪駅へ。大阪駅構内でビールとつまみを買って 銀河に乗車。発車時刻ぎりぎりでけっこう危かった。
寝台急行銀河の A 寝台に乗車。今回の大阪行の目的の一つでもあったりする。 寝台列車には何度も (うち銀河は 2 回) 乗ったことがあるけれど、 A 寝台は初めて。
22:22 大阪発。 baru さんと二人で喫煙室 *1に陣取ってしばし歓談。
A 寝台は非常に快適。余裕を持って寝返りをうてる幅があるベッドはなかなか良い。 B 寝台と違って (昼間用の) 椅子の上に薄い敷布団が用意されているのも良い。 そして A 寝台下段は窓一つを全部占有できるのも幸せ。 五反田さんに「銀河の A 寝台下段いいよ」と何度も言われてたのが納得できました。
大船を過ぎたくらいに起床。ベッドから横浜から東京への車窓を楽しむ。 6:42 の定刻くらいに東京駅着。ホームへ降りてみるとオロネ 24 の機関車側にある 荷物車から荷物をおろしている。「まだ荷物扱いしてるんだ。 何を運んでいるんだろう」などと baru さんと会話。
ここで別れて私は中央線で新宿へ。京王線に乗り換えて帰宅。
読売新聞夕刊によると、 Los Angels Times が Robert L. Forward 氏の死去を 報じたそうです。 21 日に Seattle で死去。享年 70 歳。
Dragon's Egg や The Flight of the Dragonfly に代表される氏のハード SF 作品は真に偉大なものでした。ご冥福をお祈りします。
氏の著作では
あたりが印象に残ります。
21:00 追記: http://www.mainichi.co.jp/news/flash/jinji/20020925k0000e060048000c.html と http://www.sankei.co.jp/news/020925/0925dea045.htm で記事が出てます。脳腫瘍だったそうです。
狂乱西葛西日記から。私の結果は
既読は250作品中 56 作品です(平均は 49.46 作品)。 272 人中 87 位でした。
読んだだけで印象がほとんど残ってないのもけっこうあったりする (汗。